6.30.2021

生まれる前から今日の一日は定められた

聖書朗読 ガラテヤ1章 15 しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が。。。 バウロがこの手紙の最初に自分の証しをしています。そこで、自分の救いと使徒の召しが、生まれる前から定められていた神様のご計画だったと主張しています。私たちも今日の一日に何が起きるかわからないが、すべて神様の計画とおりになります。その計画が私たちが生まれる前から定めました。色んな選択が目の前にあるかもしれませんが、それを神様に委ねて、導かれたとおりに動きましょう。例えば、パウロのように神様に反して生きている時は救われるまで皆同じです。または、クリスチャンとして神様に従いたいがどうしたらいいかわからない時があって間違った選択をしたら、神様の恵みがあります。それを気づいたときに、また正しい方向に進めばいいです。

6.28.2021

清い花嫁のように。

聖書朗読 第二コリント11章 2節 私は神の熱心をもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。 偽者の先生方がパウロが教えていた事を否定して、コリントの教会を惑わそうとしていた。彼らはだれを信じたらいいのかを分からなくなっていました。そこで、もう一度、偽者に気をつけるようにパウロが注意を呼びかけました。自分がどこまでコリントの信者の事を深く思っているかを伝えるために、自分の役割は、婚約中の娘を守るお父さんのような役だと言いました。 新郎と無事に結構が完了するまで、娘が処女のままであるように、お父さんは娘を守らなければならなかった。教会はキリストの花嫁です。パウロがこの町に福音を語り、多くの者が救われましたので、パウロがお父さんの様に責任を感じました。私たちも清い花嫁の様に、イエス様が迎えに来られるのを待ちましょう。

6.27.2021

言葉がない

聖書朗読 第2コリント9.10章

9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。

言葉にできないほどの喜びを経験したことありますか?何かで深く感動し言葉が出ないと言う経験は誰でもあるでしょう。パウロは突然、深い感謝な気持ちで神様をほめたたえています。この「賜物」は神様の恵みの事だと思います。私たちを救うために、神様がひとり子をお与えになりました。イエス様が十字架の上で自分のいのちをささげることにより、私たちの罪が赦されたのです。この様な愛と恵みはあまりにも素晴らしくて、言葉で説明するのは難しいです。 「丁度いい言葉がない」という悩みは2カ国話せる人は何度も経験してますね。私は語彙力が足りない理由で、英語で言えるのに日本語で言えないという経験は沢山しています。そのちょうどいい言葉が分からない理由で、言いたい事を遠回りで言わなければならなく、話しが長くなるのです。しかし、パウロが言っているのは、「言い方が分からない」問題ではありません。ただただ、神様の恵みが素晴らしすぎて、表す言葉がない!感謝します。

6.26.2021

貧しさの中の富

聖書朗読 第二コリント8章  9節 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。 イエス様が天国の富と栄光を捨てて、この世に来られただけではなく、この世にでも貧しくなられて、へりくだって生きていました。そして、十字架で自分の身をささげました。今の多くの人が自分の特権や自由、人権等ばかり主張する時代です。自ら自分を低くし、人に仕える者は少ないです。いるとしても、形的な文化のもので聖書が教える謙遜と異なります。私たちはイエス様に見習い、自分自身をささげ、または、献金等を通して主の働きや他の人を自分より優先しよう。

6.25.2021

聖別した生き方

聖書朗読 第二コリント6.7章 6:17,18 それゆえ、彼らの中から出て行き、  彼らから離れよ。  ──主は言われる──  汚れたものに触れてはならない。 そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、 わたしはあなたがたの父となり、 あなたがたはわたしの息子、娘となる。  ──全能の主は言われる。」 パウロは旧約聖書の言葉を引用してますが、ここで引用してるのは、教会時代の今にも適用できる原理だからです。聖別は非常に大切です。未信者と信者の生き方や価値観にははっきりと見える違いがあるはずです。聖別された私たちは神様の子どもと呼ばれる特権な与えられています。感謝します。

6.24.2021

見えないものに目を留める生き方

聖書朗読 第二コリント4、5章 4:18 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 私たちは目の前にあるもの、日々の生活でいつも忙しくしています。どうしても今日しないと行けないものがあるでしょうが、そうではないのに優先してしまうこともします。目で見えるすべての物は一時的なものであり、今日それを大事にしても、近いうちにボロボロになります。霊的な物は目で見えないが、永遠に残るのですから、それを優先しましょう。神様の御言葉、祈り、人の救い等。少しの時間でも、互いのために祈り、一日をスタートしよう。

6.23.2021

聖書+〇〇はだめ!

聖書朗読 第二コリント2,3章 2:17 私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。 コロナ注射もそうですが、料理やDIYなど、色んな液体を薄めて使いますね。この割合を間違うと、大変な結果になります。しかし、聖書は違います。聖書は完全な、完璧な神の御言葉であり、何かを付け加えることは必要ありませんし、何かと混ぜたりできません。「聖書+〇〇」ではなく、「聖書だけ」が人生の手引書です。

6.21.2021

「機会があれば。。」を考え直す

聖書朗読 第一コリント16章 9節 実り多い働きをもたらす門が私のために広く開かれていますが、反対者も大勢いるからです。 「機会があれば、〇〇します」とよく思いますが、パウロが考えてた「機会」と私が想像してたものとは大夫違います。パウロは福音を語る機会(門が開かれている)があるから、エペソに留まると言ったわけですが、これはどうやって判断したかというと、迫害です。迫害があるから、門が開かれていたとパウロがわかったのです。パウロがどこに行っても、福音を語りました。そして、多くの人が信じました。その数が多ければ多いほど、反対する人も多かったのです。反対者がいる事を証拠として、「ここに留まるべきです」と決めました。今の時代と考えが違いますね!試練があれば逃げて、すべてが上手く行ってると、「門が開かれた」と判断しますね。迫害や試練を恐れずにパウロと同じ目で状況を見ましょう。

6.20.2021

動かされることなく。。。

聖書朗読: 第一コリント15:28-58  58節 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。 ボード先生が最後のメッセージで引用した聖句ですが、その次の週に伝えましたように、これは私の一番好きな聖句です。私たちをサポートしているアメリカの諸教会に訪問に行く時「祈りのカード」を渡すのですが、それに入れている聖句です。宣教師や教会の伝導にはピッタリですし、クリスチャン生活の励ましにもなります。何かが無駄だと感じると、続けてやるのが厳しくなりますが、無駄ではないと約束されると自然とやる気がでますね。人間は数字(参加人数、救われた人数など)を見ますが、神様が私たちの想像を超える働きを、私たちが気付かない内に、見えない所で行っています。 風に吹き飛ばされる葉っぱではなく、動くことがない岩になりましょう。

6.19.2021

高ぶらずに神の恵みを感謝する

聖書朗読:第一コリント15:1-27 

9.10節 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

明日は父の日ですけど、準備等で男性の長所や短所、今週は色々と考えてました。もちろん、皆ではないですが、多くの男性はプライドが高いですね。プライドが原因で色んな失敗を繰り返します。パウロは高ぶりたかったら、高ぶってもおかしくない理由が沢山ありました。しかし、パウロの手紙を読むと、謙遜していることが気付くと思います。主の恵みを誇りにしていました。私たちも今日、神様からいただいた恵みを感謝しましょう。

6.18.2021

Chaosを減らしましょう

聖書朗読 第一コリント 14章

40節 ただ、すべてのことを適切に、秩序正しく行いなさい。

14章は異言についての教えで、内容がわかりにくいですが、簡単にまとめれば、今の時代は異言はありません。やっている教会は聖書の説明を無視して行っているので、問題です。
教会の礼拝をはじめ、私たちの生活にも、すべてのものを適切に、そして秩序正しく行いましょう。秩序の反対語はchaosです。御言葉を無視すると、社会には、私たち個人の生活にもchaosしか有りません

6.17.2021

もう赤ちゃんじゃないんだから!

聖書朗読 第一コリント12.13章

3:11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。

信じた時は赤ちゃんクリスチャンでしたが、時間が経つと経つほど、神様の御言葉に対する知識や神様からいただいた知恵がますます深くなるはずです。それでも、神様の知恵が素晴らしすぎて私たちが分からないところがあります。10節には「完全なものが現れたら」とありますが、イエス様です!早く会いたいと思いますが、その日が来るまでは、少しづつでも、幼いクリスチャンから成人クリスチャンに成長していきたいです。

6.16.2021

正しい男女平等とは?

聖書朗読 第一コリント人11章  

11,12節 とはいえ、主にあっては、女は男なしにあるものではなく、男も女なしにあるものではありません。
女が男から出たのと同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から出ています。

11章は多くの誤解や反抗的な信者を生み出した聖句です。聖書は男女平等を教えていますが、世が想像している「男女平等」とは異なります。男女は互いに必要であり、神様の目に同じように尊いですが、家庭や教会での役割は違います。「11章は聖書の時代の文化で今と関係ない」と言い訳をつける教会が多いですが、それは危険な解釈です。それでしたら、「かぶりものをしましょう」と言ったほうがまだましです。
 男は女から生まれてくるし、最初の女はアダムから取られた。互いに必要です。互いに助け合い、愛のある教会家族を作りましょう。一人一人が自分の役割を果たせば、そうなります。

6.15.2021

Pride goeth before a fall

聖書朗読 第一コリント人10章

12節 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

箴言には似たような聖句があり、アメリカでは聖書を読まない人でもみんな知ってることわざになってます。この聖句の前後には、バウロが旧約聖書の出エジプト記の時を話してます。イスラエル人の多くが神様に逆らい、愚痴や不信仰のせいで荒野で亡くなりました。「自分はそんなことをしない」と思うのは危険であり、誰でもいつでも神様から離れてしまうかもしれないことを理解して、賢く生きるべきです。

6.14.2021

勝つべき競技

聖書朗読 第一コリント8章、9章

24節 競技場で走る人たちは、みんな走っても、賞を受けるのはただ一人だ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

イストミア大祭が2年おきにコリントで開催されてました。(オリンピックの翌年と次回のオリンピックの前の年) コリントの人たちはこの様なスポーツ大会に詳しかったから、パウロは9章の最後には、クリスチャン生活を選手の競技中の心構えに例えてます。
他のクリスチャンと競技し、一人しか天国に行けないという意味ではありません。福音を他人に伝える必要と努力を教えています。やるべきことをしない、したくない時があるので、選手が長く走って、疲れて辞めたいときに体を従わせるように、私たちもそのような思いでクリスチャンとして走り続けるべきです。

6.13.2021

今のままで良い!

聖書朗読 第一コリント7章

20節 それぞれ自分が召された時の状態にとどまっていなさい。

この7章はクリスチャンの結婚生活についての教えです。独身の方や未信者と結婚している方等がクリスチャンになってからどうしたらいいのかについてパウロが教えています。結婚についてだけではありませんが、人は様々な悩みや試練の中にいるとき、「状況が違ったら幸せになれるのに」とすぐ思ってしまいますね。状況を変えることよりは、「今の状況の中でどのように主に仕えるのか」と考えた方が良いと思います。主の具体的な導きがなければ、今の状況のままにとどまり、そこで主の為に証ししましょう。

6.12.2021

NHKの子ども洗脳が始まった

聖書朗読 第1コリント人6章 9,10節 あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません。

 昨日はテレビをつけたら、nhkが非常に残念な番組がながれてました。子どもたち向けの番組で「transgender」の12歳の子の話しでした。悪魔がNHKの社長です。冗談ではありません!今の時代の堕落に対して、私たちクリスチャンは賢くならなければなりません。学校やテレビ、子ども達の洗脳が始まりました。聖書ほ明らかに語ってます。正しくないものとは、神様の赦しを頂いてない人であり、LGBTも含まれてます。彼らは天国にいけません。どんなに社会に嫌われても、私は真理を語り続けます。神様が教える価値観で行きます。偶像礼拝者、同性愛者を含めて、すべての人が罪を犯してます。神様の赦しをいただきませんか?

6.11.2021

神の奥義の管理者

聖書朗読 第一コリント4しょ、5章

  4:1 人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。

パウロは自分のことと他の使徒に対して言ったことですが、私たちクリスチャン一人一人が祭司であり、神様に個人的に近づけますから、私たちもこの中に含めていいと思います。神様の奥義(福音)の管理者です。
配達の仕事の時、いろんな管理人に会いました。優しく、「お疲れ様です」を言う人、怒鳴って、「そこに停めるな」、その間くらいで、優しく「今度来たとき〇〇してください」とそこのマンションの決まりを教える人がいました。
私たちは福音に対して、どんなスタイルの管理人でしょうか?

6.10.2021

見ためより土台が大事?

聖書朗読 第一コリント2章、3章

 3:10 私は、自分に与えられた神の恵みによって、賢い建築家のように土台を据えました。ほかの人がその上に家を建てるのです。しかし、どのように建てるかは、それぞれが注意しなければなりません。

今は博多南BBCの駐車場でブロック塀を作っています。まだ基礎工事の最中ですが、急いで手抜きなことは絶対にしません。なぜ?どんなに綺麗な立派な物が出来上がっても、基礎がしっかりしていないと意味ないからです。

多くの人は立派な生活をしているように見えますが、もしかしたらそれは外側だけかもしれません。その人の土台がどうなっているのかが気になります。私たちの土台はしっかりしていますか?イエスキリストが土台であれば安定した立派な働きができます。

6.09.2021

はい。愚かです。

聖書朗読 第一コリント 1章

18節 十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。

私は愚かです。はい。間違いありません。福音を宣べ伝えるのて、社会からは「愚かな者」とされるのは当然。だって、創造説を信じて、進化論を否定します。夫婦は男一人と女一人であって、同性愛は認めません。聖書は神様の生きている言葉であり、2021年にも誤りがなく人間が従うべき聖なるものだと思います。これで「愚か」のレッテルが貼られます。

福音には力があります。いつかすべての口がイエス様が神様であることを認める日が来ますが、残念ながら多くの人には遅すぎることになります。救われるチャンスは生きている限りであり、一人でも救われるのであれば、世が福音に、そして私たちに「愚か」とレッテルを貼っても、語り続けましょう。

6.08.2021

善にはさとく、悪にはうとく

ローマ人への手紙 16章

19節 あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。

16章は挨拶の章ですが、その中にいろいろな感謝や注意などが書かれています。19節にはローマの教会の従順が褒められてますね。正しいこと、善、に対しては賢くなり、常に正しいことをするべきですが、悪に対してどうするかはクリスチャンの中には様々な考えがあるようです。ここには、「疎い」が使われてます。知識がなければないほどがいい。関わらない、考えない。避ける。英語は「simple」か「innocent」になります。例をあげると、子どもは何歳から性的なことを理解してほしいのか?私たち親は子どもが幼いのまま、innocentの姿をなるべく長く維持したいです。
悪に対しても同じです。関わらない、考えないで、御言葉中心の生活にしましょう。

6.07.2021

希望を唯一の本

聖書朗読 ローマ人への手紙 15章

4節 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。

御言葉からはじまる一日はどれほど大切なのかがわかりやすい聖句ですね。とはいえ、今日は送信が遅れています。パウロがこれを書いた時点では新約聖書がまだ完成してない訳ですから、旧約聖書やイエス様の言葉に対して言っているわけです。聖書の言葉に頼ると安定した生活ができます。希望のない人に囲まれても希望のある生活ができます。本屋さんにいって、沢山の本があるが、同じ約束できる本ありますか?一時的な希望を与える本はありますが、時代を超えて希望と忍耐を与えることができる本は聖書以外はありません。

6.05.2021

正しい事をすれば恐れがない

聖書朗読 ローマ12章、13章

ローマ13:3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをする時ではなく、悪を行う時です。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者から褒められます。

先生が教室に入ってきたとき生徒が急に静かになったり慌てて何か隠したり、警察がいるときに急に速度を見ながらブレーキを踏んだり、色々ありますが、権威ある人たちが現れると自分の行動が変わるなら、元々はその行動がいけなかったということになります。正しいこてをすれば、権威ある人たちを恐れなくていいのです。尊敬する意味の恐れはいいんですが、今は怖がる意味で使っています。

クリスチャンは神様にまず従います。そして、聖書の教えや価値観に違反しない場合は政府の指示に従います。

6.04.2021

ずべでは神様から、神様により、神様に至る

聖書朗読 ローマ人への手紙 11章

36節 すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

パウロは9章から11章に、イスラエル人が救われてほしいとの強い願いを語りました。その最後にこの36節があります。神様の働き、計画を人間が完全に理解すると言うのは不可能です。しかし、そのことを神様に逆らう理由にするのではなく、逆に「アーメン」と言うべきです。神様の素晴らしさを人間の知恵で理解できるとしたら、全能の神様が小さくなることになりますね。33節にありますように、「神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。」すべては神様から、神様により、神様に至る。神様の計画を理解できなくても、感謝します。

6.03.2021

ユダヤ人の救い

聖書朗読 ローマ人10章 1節 兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。 9章1から3節にら同じような内容でしたが、パウロは切に願ったいたことは、イスラエル人が救われることです。可能であれば、自分の救いを手放し、彼らに上げるとまで言いました。私たちはどこまで他人の救いを願っていますか?

6.02.2021

創造主に失礼!

聖書朗読 ローマ人への手紙 9章 20節 人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。 子どもの頃、自分の顔が嫌いでしたが、ある時、この聖句を牧師に見せられて、「そういうことを言うのは創造主に失礼です。」エペソ2:10によると私たちは神様の作品です。自分のすべてを受け入れて、創造主に感謝して今日を生きましょう。

6.01.2021

祈りたくても言葉がでないとき

聖書朗読 ローマ章8章 26節 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。 私たちが試練や様々問題の中にいるとき、祈りたくても言葉が出ない時があります。希望があるはずなのになぜかそれを感じないとき、または、心から祈れる時でも、どんな時でも聖霊が私たちの執り成しをしてくださいます。神様が私たちの声を朝から聞きたいのです。祈りをもち一日を始めましょう。

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...