12.30.2012

2012年の最後の日曜日

数か月前に「いつ終わるんだろう」と思った、この2012年の最後の日曜日となりました。 この一年間を考えると感謝な気持ちでいっぱいです。 辛いこともありましたが、それからいろいろ学び、成長したと思います。 4月に学校の正式なはじまり、または、7月に教会にとっての新たなスタートでした。 救いの決心をする人や、バプテスマを受ける方も。 ハレルヤ! 教会の新たなスタートから、今日までを考えると感謝でいっぱいです。 2013年もますます、神様の祝福がありますように、祈りましょう。  真の神様を信じていない人であれば、この一年間の出来事を考えると、不安になるかもしません。 台風、地震、殺人事件、不景気、政治のことを考えると、「神様はどこにいるのか」と思うかもしれません。 人間って面白いですね! 人生がうまくいくときは、神様を無視するけど、辛いことがあると、神様の責任にする人がいます。 そんな考え方は信仰ではありません。 信仰ある人ならは、時が良くても悪くても、神様がすべてを支配していると信じ、不安にならないはずです。 神様は人間を祝福するときもあれば、裁く時もあります。 神様はすべてを支配していますが、人間に自由意思を与えています。 さまざまな出来事をとおして、人が心から神様を求めるように、神様が働いておられます。 辛い時には、神様の方に逃げる人も入れば、様から逃げる人もいます。  クリスチャンになったとしても、試練はあります。 試練は私たちを強くするためのものです。神様が私たちを愛しておられるからこそ、そうなさるのです。 「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」 (ローマ5章)   多くの人は何かの悩みを持っています。 幸せそうに見える人でも、あなた以上の悩みがあるかもしれません。悩みがありながら、幸せそうに見えるのはなぜでしょうか? 態度です! その問題を朝から夜まで心配せずに、神様に委ねているので、安らぎがあるのです。 クリスチャンは未信者のように、悩むはずはない! 今、心配していことを、その重荷を神様に委ねさい。 新たな心で新年を迎えましょう!

12.24.2012

主の再臨を待ち望む


ホビット 思いがけない冒険 映画版【入荷予約】一週間前の金曜日に,イーサンとノアがホビットという映画を見に行きました。 彼らは映画館に行くのをとても楽しみにしていました。イーサンは4日前から、映画までの時間をカウントダウンしていました。 
「ホビットまでの時間はあと__時間です。」と書いてあったポスターを作り、机の壁に貼って、一時間ごとに、残りの時間を変えました。当日に私がお二人を大野城のイオンまで送りました。車から降りた時が面白かったです。「ありがとう」と言った後、車から降りて、結構のスピードで映画間に向かって、走りだしました。 走れば、映画が早く始まるわけでもなかったし、遅れていたわけでもなかったけど、とても楽しみにしていたから、走ったわけですね。
  皆さんは子どものごろを思い出してください。 一番楽しみにしていたことは何でしたか。 わくわく、どきどきで早く来てほしかったもの。その気持ちを思い出してください。
  クリスチャンはイエス様の再臨をそれ以上に楽しみにするべきです。 先週も言ったように、その日はいつなのかはわかりませんが、待ち望むべきです。 イエス様が2000年以上まえに来られた時は、預言された通りに来られたのに、誰も待ち望んでいた日ではなかった。イスラエル人は自分のことで忙しかったかもしれません。それか、神様が彼らのことを忘れたと思ったかもしれません。 
  天使は羊飼いに、救い主の誕生のお知らせをしたときの羊飼いの反応を考えましょう。 ルカ2:15-16 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼い葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
  もし、私たちが羊飼いだったら?急いで行ったでしょうか?同じほどの喜びがあったでしょうか? 町の他の人は、救い主の誕生を気付かなかった。 ほとんどの人にとっては、普通の夜でした。 残念ですね。 イエス様がまた、来られるときは、同じかもしれません。救い主を迎える準備が出来てない人は多くいます。あなたはいかがでしょうか?
  

12.17.2012

聖書の預言vsマヤ文明の予言

皆さんはマヤ歴のカレンダが預言する、この世の終わりが間もなく来るとニュースで聞いたかもしれません。先週に、私は冗談で、「水曜日の12日はこの世の終わりですね!」と言ってました。それから、もっと詳しく調べたところ、日付を間違っていたことが気付きました。 マヤのカレンダーでは2012年12月12日ではなく、12月21日だったそうです。 21日は金曜日ですね。しかし、マヤ歴のカレンダを恐れる必要はありません。 世の終わりというのは、人間の知恵と予言によるものではないからです。 
 しかし、聖書の預言は絶対的な物です。 福音書を読むと、「これは預言者たちを通して言われた事が成就するためであった」と書いてあることを気付いたでしょう。 クリスマスに関する預言を考えましょう。 救い主がベツレヘムに生まれること、処女に生まれることなど、旧約聖書にクリスマスに関する預言がいくつかあります。そして、そのとおりになりました。聖書の預言でまだ成就されていないことは、いまから起きることです。しかし、その事はいつ起きるかわかりません。 旧約聖書の多くの預言がキリストの生涯で成就されたことは偶然に起きるような出来事ではなく、奇跡的な出来事です。聖書の預言を信頼できます。
 クリスチャンは占いなどで、未来のことを調べようとするのではなく、聖書を読んで、どう生きるかを学びます。ニュースを見て、いろいろなことを心配するのではなく、明日のことをご存じである、偉大な救い主を信じましょう。
 たとえ、今週の21日が本当にこの世の終わりだったとしたら、次の5日間、何をしますか? 生き方が変わるでしょうね。 キリストの再臨の日付は誰も知りませんが、まもなく起きる可能性があると確信しています。 時を無駄にせずに生きましょう! 第一テサロニケ5:1-2を読みましょう。「それらが(主の再臨)いつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。」

12.10.2012

突然に現れたポテト

先週の水曜日の朝に、ワイエット先生とマックで朝食をしていた時に起きたお話です。 私たちが帰ろうとした時に、小さい一つのポテトがテーブルの上に置いてあることを気付きました。 私はレストランで汚いテーブルに絶対座らないタイプですから、座る前になかったと思います。 ワイエット先生も座る前に置いてなかったと同意見です。 しかし、天井から落ちてきたわけでもないし、朝ご飯だったので、私たちが注文したものでもなかったのです。 僕が「不思議だな」とコメントしたら、ワイエット先生が、「天国からのマナに似てますね。」と言いました。 
 イスラエル人がエジプトから脱出したとき、次の40年間、荒野で生活しました。その間に、神様がイスラエル人のために、天からマナという食べ物を贈りました。 出エジプト16章に書いてあります。 一日の分のマナが朝起きた時に、地面にありました。 その日の分だけ集まり、次の日はまた、神様がマナを降らせました。 
 聖書の中に、神様が私の必要を満たしてくださると約束しています。 新約聖書に、イエスが私たちのためのいのちのパンであることがわかります。 ヨハネ6:35に書いてあります。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」
 イエス様は何もないと思う所に、素晴らしい御業を成すことができます。 私たちは、イエス様を信じると、自分の力と知恵に頼ることをやめることが出来ます。そして、いのちのパンであるイエス様の手より、多くの祝福を得ることができます。 ポテトは実際、最初からそこに置いてあり、私たちが気付かなかっただけかもしれません。 あなたはすでに、神様から素晴らしい祝福をいただいていて、気づいていないだけではないでしょうか?

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...