7.12.2026

街角に「知恵」が立ってあなたに叫んでいるよう。

 箴言8:1-4

知恵は呼ばわらないだろうか。 英知はその声を上げないだろうか。2.これは丘の頂き、 道のかたわら、 通り道 の四つかどに立ち、3.門のかたわら、町の入り口、正門の入り口で大声で呼ばわって言う。4.「人々よ。 私はあなた方に呼ばわり、人の子らに声をかける 

知恵が街角に立って叫んでる人として描かれてます。 それが本当だったら助かったかもしれない。 私が間違ってどう 通った時に「 マイケルさん まもなくあなたはとても馬鹿なこと言うから口を閉じなさい」とか。。。 または携帯の時代だから 天国の父なる神様からの着信が携帯に入ったらありがたいですね。

でも実は私たち クリスチャンは聖霊が与えられてます。 ですから その聖霊の声に聞き従えば大きな罪は 犯していないはずです。

知恵が街角に立って より多くの人が神様の言葉に耳を傾けるように叫んでいるわけですね。

    今日は どんな目的でクリスチャンは教会に集まるんでしょうか。この頃礼拝に向かう前に祈ってます。「人と状況から目を離して 神様あなただけに目を向けられるように私を助けてください」 しかしこれを素直に祈る前には他人を許していないといけません。

他人は「ごめんなさい」と謝ってるのに自分は「絶対あの人を赦さない」と思っているならば、 その心は 真の礼拝の妨げとなっていると思います。

これはただ一つだけの例ですが、知恵は街角でこういうこと叫んでいるのではないでしょうか。

「 神様の知恵に耳を傾け それに従いなさい」「 もっといい生き方があるよ」「 神様の道は人間の道より幸せですよ。」

「 神のみ言葉を実行すれば心が楽になりますよ」

今日私たちが教会に向かってる時に、  赤信号を待ちながら、 交差点に 神様が遣わした「知恵」 という人が立っていたら私たちに何と叫んでるんでしょうか? それを答えようとしながら心に浮かんできたものは それこそ聖霊の声です。

2.16.2026

すべての国々の支配者に向かって賛美しよう

 詩篇47: 1 すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。

8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。

 全ての国のすべての人が真の神様に向かって、この47編に書いてある通りに賛美をしたらなんと美しいで光景でしょう?「回りの人になんと思われているのか」を気にせずに、元気に、恥ずかしくなることなく、大声で手をたたいて、賛美したいときがあります!

神様の素晴らしい御業を考えると冷静になれないと思います。興奮するのではないでしょうか?私たちの神様は勝利を得られた王様です。王国の人がその王様が戻ってくるときにお騒ぎするようなものですよ。

 実はこの詩とは違う雰囲気ですが、先週の水曜日、男性の勉強会に参加して、聖書を開く前にある聖歌(Because He Lives)を皆で歌いました。楽器なしの15人の男性が恥ずかしくなく大声で歌っていました。この聖歌をたぶん500回も歌ってますが、この経験は他にされたことないほど感動しました。

 「日本でも15人の男性が一つの声で賛美することをいつか見たいな」と思いました。

ですから、47篇のような手をたたきながら元気よく歌うにしても、すわって楽器なしの声だけで歌うにしても、問題は、「私たちは心から神様を礼拝しているのか」です。

 1節、喜びの声=Voice of Triumph= 勝利の喜びの事です。

8節、すべて=100%でしたね!

今日の一日が私たちの思うように行くか行かないかは関係なく、私たちの神様はすべてを支配しています。安心してお出かけしましょう。そして、喜びの賛美をしてから出かけましょう。

2.14.2026

王様の結婚式

 詩篇45:6.7 神よあなたの王座は世々限りなくあなたの王国の杖は公平の杖。あなたは義を愛し 悪を憎む。それゆえ 神よ あなたの神は喜びの油を あなたに注がれた。あなたに並ぶだれにもまして。

詩篇45は聖書通読で何度も読んだことあるものですが、初めて深く勉強したかもしれません。この詩は結婚する王様のために書かれたものです。6.7節はまたヘブル人の手紙で引用されてますので、キリストが私たちの王様であり、メサイヤ として来られる キリストの予言的意味もあります。

結婚式に最近参列されたことありますか? アメリカと違って日本に呼ばれると、多額のお金を用意しないといけないので、誘われたくないかもしれませんけど、豪華な喜びある1日ですね。

私は結婚式 600件以上あげてますが、やはり結婚式に参加することで祝福されます。お2人の可愛らしい 緊張とまたその喜びを見ることによって 元気なります。

私たち教会はキリストの花嫁であり キリストは花婿です。今は婚約時期ですね。私たちのために場所を用意されて私たちを迎えに来るわけです。

楽しみではありませんか。または6節、7節もう一度見てください。

キリストが私たちを迎えに来るまでは キリストが愛するものを愛しましょう。

義を愛し、悪を憎み、忠実なしもべとしてお待ちしましょう。

2.13.2026

歴史から学びないともったいない

 詩篇44:1 神よ 私たちはこの耳で聞きました。先祖たちが語ってくれました。あなたが彼らの時代 昔になさったみわざを。..

昔の時代の人たちは、自分の失敗で学んだことや親から教わった歴史や生活に必要な知恵などを必ず次世代に口頭で伝えました。当然 技術がなかったし Google で検索する、学校 任せにするなどの選択肢はありませんでした。この習慣が社会から消え去ってませんか?特にクリスチャンは次世代に神様の素晴らしい 御業を伝えるのは諦めないで行きましょう。子どもたちは聞く耳がないならば、お祈りし そして神様の知恵で工夫しながらも伝えましょう。

先ほど2ヶ月前に私が書いた文章を見つけました。「そっか 2ヶ月前はああいう決心したんだ こうするんだと決めたんだ。」この文章を毎日読み返すつもりだったのに完全に置きっぱなしにされ、結果としては 様々なことで失敗を繰り返しました。避けられたはずの 嫌な結果になりました。

前の世代の失敗から学ばなかったり、聖書から目を離して神様の御業を忘れたりするときもこういう結果になります。

私たちは聖書を置きっぱなしにしたり、辛い時に神様に祈らなかったりすると、必要以上の辛い思いをします。

2.12.2026

光とまことに導かれる

 詩篇43:3 どうかあなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。

これは嘘かのように思うでしょうが、これを打ち始めるまでは外が曇っていました。「光」を打ったすぐあとに、外を見たら、太陽の光が一瞬見えました。寒い冬と曇りの日が続くと、元気が出にくいですが、太陽をあびると元気がでますね。霊的にも同じことが言えるでしょう。神様が与える世の光は世の中の人たちにはもちろん必要ですが私たちの日々の生活にも必要です。その光とまことから離れずに歩みたいですね。暗やみに囲まれているとき、聖書を開いて、お祈りして、賛美して、光を浴びましょう。

2.11.2026

鹿のように

 詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしのたましいはあなたを慕いあえぎます。As the hart(deer) panteth for the water brooks, so panteth my soul after thee, O God.

先日、教会に向かっていたら、鹿が森から車の前に飛び出してきた。この可能性があると気づいた上で運転してるので幸いなことに 十分時間があり、事故ってないです。


森が多い田舎なので、「ここに道がるあるから、車に気をつけかなきゃ」と鹿は親や学校安全教室で教わってないでしょうね!鹿は鹿でAGENDAがある!食べ物、飲み物。。。必要なこと以外は考えない、気にしない。。。自分なりの解釈で鹿と会話したことないですが。。。。

そのような一方的な思いで私たちは神様を慕い求めているのか?2節を見るとその神様はどんな神様ですか?生ける神様です!God's Not Dead!という映画があります。また歌にもなってます。神様は生きています。水のないところで、「今水を飲みたい」と思う以上に神様を慕い求めましょう。必ずこたえてくださいます。

2.10.2026

ささやき(WHISPERER)気にするな

 詩篇41:7 私を憎む者はみな私についてともにささやき私に対して悪を企みます。

この詩の最初の数節は弱いものを助ける大切さについてダビデが語ってます。

4節からは自分の悩み語っています。whisper...はこの「ささやき」の英語ですが、部屋に入ってきて自分の方向に2、3人が見ながら、このような声で語っていると嬉しくありませんね。みんな経験してることでしょう。噂話はもちろんですが、人に憎まれるのもキツイことです。特になぜ憎まれてるのかが分からない時ですけど、ダビデは全て主に委ねています。

問題の最中にいる時に自分の知恵で考えても考えても答えが来ないし、神様に委ねた方が楽な道です。主を恐れる人たちが選ぶ道です。

8から9節を続けて読むと、仲のいい人に裏切られたり、また作り話がされたり、自分の試練をバカにされたり、この世の中には色々ありますね。

でも10節を見てください。ダビデは憐れみ深い神様に目を向けています。

ダビデが復讐を企んでるように見えるんですが、そうではないのです。試練の最中でも誠実な道を選ぶことによって、最終的に敵の負けということです。

今、出発する前に、勝利の主に祈りましょう。