3.31.2021

約束を守る神様

聖書朗読 ヨハネ2章 19節 「この神殿を壊してみなさい。私は三日でそれを建てよう。」 イエス様の言葉を聞いた人たちは、工事が46年かかった、エルサレムにある神殿のことについて話されたいたと勘違いしました。しかし、神殿は自分の体のことでした。イエス様は、3年間の奉仕の一番最初から、そして、十字架の前の週まで、何度も自分が死んで復活することを弟子たちに伝えました。イエス様が約束した通りになりました。政治家は基本、約束守りません。親でも、子どもでも、友達でも、会社の社長でも、従業員でも、約束を守らない時がある。でも、神様は違います!必ず約束を守ります。 まもなくイースターです。約束を守る神様を信じ、希望を持ちながら、お祝いしたいです。

3.29.2021

負けず嫌い

聖書朗読 ヨハネ1:1ー28 4〜5節 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。 負けず嫌いな人とゲームするとダイブ疲れませんか?ボード先生とベッキー先生とゲームすると、必ずこの2つのスタイルがぶつかります。私はおしゃべりしながら遊びたいが、お二人はゲームにだけ集中して、他の関係ない会話には興味なし。それでも、楽しいですし、今日は小倉にいき、教会を借りて、また遊ぶと思います。 私は変わった性格で、ゲーム負けても気にしません。しかし、ゲーム以外の他の状況になると、(話しがズレるから詳細控えます)負けず嫌いです。 やみは光に負けました!その光はイエス様です。私たちクリスチャンは勝ち組です! 今日からの聖書朗読はヨハネの福音書です。イエス様が神様であることを強調しています。私たちの証を通し、世の光を反射し、多く人の心の暗闇が光に変わるようになる4月を目標にしたいです。

3.27.2021

女のたわごと

聖書朗読 ルカ24:1-35 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。 弟子たちはイエス様が復活したことのお知らせを受けた時、たわごとだと思われたそうです。最初の方は信じなかったけれども、そのうち復活したことを受け入れました。 今の時代でも、イエス様の復活のような聖書の色んな素晴らしい出来事を聞いて、多くの人達はおとぎ話のように受け止めます。そんなに信じがたいことでしょうか?例えば、進化論はどうですか?私は進化論のような考え方の方が信じ難いです。考えてみれば創造説を信じるよりは進化論を信じる方がまだまだ信仰が必要かもしれません。進化論はたった一つの例ですけれども、聖書の神様を信じない人達の方が、私たちよりは、沢山なおかしいことを素直に受け入れています。 もうすぐ復活祭になります。イエス様の復活を否定している人達は、それ以上に受け入れ難いことを素直に信じていますから、彼らには自信を持ってイエス様の復活を伝えましょう。

3.26.2021

神殿の幕が二つに裂けた日

聖書朗読 ルカ23:26-56 45節 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。 想像してみてください。夜ではないのに、突然夜と同じくらいに真っ暗になったら、びっくりしますね。他の福音書によると、地震もありました。これだけでも、すべての人たちが立ち止まり、「何があったんだろう」と思いますね?それに加えて、神殿の幕が綺麗に二つに裂かれました。宗教熱心なユダヤ教の先生方全員が、この時点でイエス様が待ち望んでいた救い主だと信じるべきでした。 この出来事には深い 意味があり、今日の私たちのクリスチャン生活にとっては大切なことを表しています。この幕は神殿の聖なるところ(祭司しか入れないところ)と一般な方が入れるところを区別するための幕でした。これが裂かれる意味は、すべての人が祭司となり、神様に近づけるようになったということです。誰かを通してではなく、イエス様を信じるだけで、私たち一人ひとりが日々の生活の中で、神様に祈り、神様と個人的な交わりを持てるようになりました。ぜひ、今日も持ちましょう。

3.25.2021

何の罪もないの、犯人扱いされるとき

聖書朗読 ルカ23:1〜25 ビラトは祭司長たちや群集に、「この人には何の罪も見つからない。」と言った。 ビラトが言われた通りです。しかし、群集はその判決を受け入れず、ますます暴動だったと言ってもいいくらい、イエス様が裁かれることになるまで、諦めませんでした。真理を語るだけで、なぜここまで嫌がるのでしょうか? 今でも彼らのような人たちがいます。クリスチャンを迫害し、私たちが彼らの生活や価値観が「普通」だと認めるまで、彼は諦めません。 この様な環境の中で、どうすれば、イエス様のように強くなれるのでしょうか?祈りと御言葉の時間を毎日持つことです。聖霊の助けを祈ることです。聖霊の力と導きがなければ、のりこえられません。いつ語るのか、いつ黙るのか、イエス様が十字架に掛かる前の一週間、見習いができることたくさんあります。

3.19.2021

最後の一週間

聖書朗読 ルカ19:28~48 32節 使いに出された二人が行って見ると、イエスが話されたとおりであった。 もうすぐ復活祭です!復活した一週間前にイエス様がエルサレムに近づきました。弟子たち二人にロバの手配をお願いしました。その細かいことまで支持をし、弟子たちが支持された通り行動しました。イエス様が彼らに支持しただけではなく、全て必要なものを備えていました。   私たちが何かの奉仕などをするようにイエス様に導かれたとき、イエス様は必ず私に必要な知恵や力を与えてくださいます。私たちを導き、守ってくださるイエス様に感謝します。

3.16.2021

感謝しない9割。

聖書朗読 ルカ17章 ルカ17:17~18 そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻ってきた者は、この外国人のほかには誰もいないのか。」 ハンセン病で苦しんでいた10人が、遠くからイエス様の憐れみを必死にお願いしていました。長年、町から離れた所、家族から離れて生活していたと思います。彼らはイエス様の命令に従いましたから、祭司に向かっていた途中に全員のハンセン病が治りました。しかし、イエス様に感謝を伝えたのはたった一人。 この話しを何回読んでも飽きません。毎回思いますが、2000年過ぎてますが人は変わってませんね。 多くの未信者は困ってる時だけ、「神様、助け」と叫ぶが、その問題が解決すると、神様を必要としない日々の生活に戻ります。 私たちは都合の良い時だけにではなく、どんな試練の中にいても、神様に感謝しましょう。周りの人たちの様な価値観ではなく、神様を第一に求めて、いつも感謝する者になりたい。 私たちは毎週日曜日、礼拝の時間に、賛美と祈りを通して神様に感謝を伝えています。しかし、平日でも必要ですね。

3.11.2021

多く与えられたならば。。。

聖書朗読 ルカ12:35-59 48節 多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。 昨日は送信しませんでしたが、ルカ12章の前半で、分かり易い聖句が多くあります。特に、22節から34節が好きです。 後半は説明が難しい聖句が多く、短いメールでは説明しきれません。聖句の一部だけを取り出すのは、間違った解釈につながる恐れがあるため、避けたいが、今日はお許しください。  48節の言葉はとても有名であり、ビジネスの世界でもよく聞きます。 私たちに任されている責任は小さいことでも大きいことでも、真面目に実行しましょう。または、神様から祝福されている私たちは、感謝して、周りの困っている人たちを祝福するべきです。「私は経済的にギリギリな所で生活しています。祝福されていません。」と思いがちですが、ルカの前半を見れば、それは違うとわかります。食べていますか?住む場所ありますか?着る服ありますか?祝福されています。神様が私たちの必要を満たしています。そして、福音を任されています。ただで頂き、ただで福音を他人に伝えられますので、これ以上の祝福はないでしょう。

3.09.2021

マスクと消毒しても、まだ汚いよ!

聖書朗読 ルカ11:29~54 39節 すると、主は言われた。「なるほど。あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。」 イエス様が食事の前に手を洗わなかったことで、彼らは驚きました。今の時代に例えると、消毒せずにマスクせずにお店に入ると言うようなものですかね?コロナ対策よりはもっと突っ込むと、美容や洋服に多額なお金をかけながら、自分の魂のことを一切考えない人です。良くいますね?多くの人は体の外見ばかり考えながら、自分の心の状態や神様との関係を考えてない。パリサイ派は宗教的な儀式を気にしていましたが、今の時代はそういう儀式よりは、文化に合わせたり、周りの価値観に合わせたりしています。大切にしているものがパリサイ派とは違いますが、外側ばかり考えている所は同じです。 私たちはいかがですか?外側よりは内側が大切であることを忘れずに信仰生活を歩む必要があります。

3.08.2021

うるさい親…どうすれば良いのか?

聖書朗読 ルカ11:1~28 28節 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人達です。」   親が何度も同じことを繰り返して子どもに言わないといけない場合があります。これはどういう時でしょうか?子どもが指示されたことを実行してないときですね。親に「うるさい」と口答えする場合もあります。考えてみれば、おかしいですね。一回目に従ってたら、繰り返す必要もなくなり、その「うるさい」親が静かになれます。 でももう一つおかしいと思う、子どもの口答えがあります。「わかった」。これは、素直に従いますの「わかった」でなく、「わかったから、もう言わなくていい」との意味で言ってます。「わかった」と言いながら、実行してない。 イエス様を愛しているクリスチャンは、イエス様の御言葉に従っているクリスチャンです。「わかった」と言っでからすぐ動く。

3.05.2021

Opinions are like belly buttons, everyone has one.

聖書朗読 ルカ9章1節から27節 18節 さて、イエスが一人で祈っておられたとき、弟子たちが一緒にいた。イエスは彼らに尋ねて言われた。「群衆は私のことを誰だと言っていますか」 Opinions are like belly buttons, everyone has one. 「意見はおへそのようなもの、皆もっています」と言う英語があります。イエスは誰なのか?の質問の正しい答えは一つしかありません。20節にべテロが「神の子キリストです。」と答えてます。これは意見ではない。信仰告白です。イエス様についての意見はたくさんあります。意見は間違っても、持つのはその人の自由です。ただ、私たちクリスチャンがそれに合わせる必要もないし、相手の間違っている意見を認める必要もないのです。「あなたがそう思うんですね。」ではなく、「あなたがそう思うんですね。イエス様が唯一の神様であり、天国への道は一つしかありません。信じることができるように、お祈りしています。」と声かけて、多様な何でもありの社会にあわせないで行こう!

3.04.2021

神様の言葉を馬鹿にするな!

聖書朗読ルカ8章26ー56 53節 人々は娘が死んだ事を知っていたのでイエスをあざ笑っていた。 時代が変わっても、人は変わってません。今でも、多くの人たちは神様の御言葉に対してあざ笑っています。自分たちが知恵あるものだと思い込み、聖書の教えを馬鹿にするのです。ヤイロの娘は普通で考えるとき死んでましたし、彼らはそれを間違ってはいなかったでしょう。しかし、神様のくださる知恵(常識を含め)は普通ではなく、人間の知恵をはるかに超えてます。神様の道は人間の道より優れていますが、霊的の目、信仰によって見なければなりません。周りの人たちが聖書的な価値観をあざ笑っている時代ですが、その中でも、信じつづけましょう。

3.03.2021

嵐の中でも寝れる!

聖書朗読 ルカ8:1~25 24節 そこで、彼は近寄って行ってイエスを起こし、「先生。先生。私たちは溺れて死にそうです。」と言った。イエスは起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も治まり、なぎになった。 外に強い風や激しい雨が降ってるのに、全く気づかすで平均で寝れる人がいますが、うらやましいです。または、周りがうるさかったり、いろんな雑音がある所で平均で寝れる赤ちゃんを見るとき、「いいな」と思います。深く寝れる人やすぐ起きてしまう人、もちろんいろんな科学的な、医学的な説明もあるでしょうが、安心感があるからとも言えでしょう。 弟子たちの様に状況を見て心配するよりは、自然を支配している神様に信頼を起き、今日を歩みましょう。

3.02.2021

なぜ平安がないの?神様を自分の敵にしているからです!

聖書朗読 ルカ7章24ー50 50節 しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」 2021年教会テーマは「平安をあなたがたに」ですが、平和や平安(安心)と関係ある聖句が聖書朗読にある時は、それをその日の一節デボージョンにしたいと思います。 多くの人(未信者)が日々の生活に平安がない一番の理由は悔い改めてない罪があるからです。神様と和解してないため、神様がくたざる本当の平安は与えられません。神様と和解すると、救われます。救われていると、試練があっても、その中にでも、不思議ですが、平安があります。 クリスチャンでも悔い改めてない罪があるかもしれません。これはクリスチャンなのに平安がない理由の一つです。神様と仲直りをして、人と仲直りをして、平安ある一日を過ごしましょう。

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...