5.30.2021

救われてからのバプテスマ

聖書朗読 ローマ6章 4節 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも命にあって新しい歩みをするためです。 今日の聖書朗読は今月の日曜日に学んだ所ですが、今日は聖餐式を行いますので、ちょうどいい箇所です。キリストが死んで、ほうむられて、復活したことを信じて、罪の悔い改めをし私たちが救われた時、古い人が死に、心が新しくなりました。そして、心の中にこの見えない奇跡を見える形にするためにバプテスマを受けます。バプテスマによって罪が赦されるわけではなく、すでに救われたことを公に証しすることです。聖餐式を通して、救われてバプテスマを受けた私たちがイエスの犠牲を思い出して、感謝して、そして公に福音を証しするのです。

5.28.2021

信仰の父、アブラハム

聖書朗読 ローマ人 4章 20,21節 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を帰し、 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。 アブラハムは「信仰の父」として知られて、三つの宗教にとって大きな存在です。ただ、ユダヤ教やイスラム教は彼らの行いを見て真似しようとしますが、聖書はアブラハムの信仰を真似するべきだと教えてます。彼の信仰は彼の従順を見てわかります。そう言われると、彼の信仰と行いは同じものだと解釈しがちですが、違います。アブラハムは神様を信じて、行動しました。信仰が先です。神様を疑うことなく、神様の約束を信じて、自分のものにして、今日を歩みましょう。

5.27.2021

値なしに赦される

聖書朗読 ローマ人への手紙3章 24節 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。 「アーメン」以外にはコメントがいらない聖句ではないでしょうか?私は神様の恵みを頂くにはあたいしない。神様の赦しはもちろんですが、日々の生活に主から恵みのシャーワーを頂いてます。感謝します。「義」ではない私たちが義と認めらたことを感謝して、一日を始めましょう。

5.26.2021

人の罪を裁く神様

聖書朗読 ローマ2章 4節 それとも神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。 多く未信者は「裁かない神様」や「神は愛です」を信じたいが、「人の罪を裁く神様は酷いので信じません」と言うのです。それはあくまで信じない言い訳だけです。本当に言ってるのは、「今まで通りに自己勝手な生き方をし続けたい。」です。神様に委ねるのが嫌で、神様の愛を拒むのです。神様は人を裁きたいわけではありません。人を愛し、独り子をささげたわけですから、人がその愛を拒むのではなく、軽んじるのではなく、受け入れるように聖霊が人の心に働いておられます。 クリスチャンである私達にも、救われた後にも、主の慈愛と忍耐と寛容を毎日必要ですね。

5.25.2021

イエス様は誰?

聖書朗読 ローマ1章 7節 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。 ローマの学びをはじめてから半年以上経ちましたが、今週の聖書朗読は今までの学んだ所の復習となります。 以前言ったように、聖書朗読の中に今年のテーマ言葉がある場合は、その一節を選んでます。 1節から7節はローマの信者への挨拶ですが、ただの挨拶ではありません。深い大切な内容です。イエスキリストは誰なのかをはっきりしています。カルト教(エホバの承認やモルモン教)は必ずイエスキリストは誰だったのかの説明が聖書からずれます。 イエスキリストが神の子であり、神様です。イエス様が私たちを選び、救いに導き、主の福音のために働くようにと私たちを召されました。本当の平安はイエス様々から下って来ます。平安を得られる他の方法はありません。

5.23.2021

嵐の中でも恐れない

聖書朗読 使徒の働き27章   23,24節 昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」 最初は、船長をはじめ、船の操作に詳しい人たちは、パウロの指示を無視しました。そして、パウロはしばらくの間、助言をせずに彼らの自己勝手に任せました。21節が面白いです。私たちも良く子どもに言いますね!「ほら、いったでしょう」船長は自分の知恵や能力を頼りにしたが、どうにもならないと分かってから、パウロに聞き従いました。 この船には276人がいました。パウロの信仰と行動により、全員が嵐から助かったのです。「パウロが仕えている神様」と言い直すと、「神様の奴隷」と言えます。これは喜びある道であり、回りが状況を見て不安になっているのに、神の奴隷は安心して生活できます。なぜなら、主人が自分の家にいる家族だけではなく家で働いている者を守るように、神様が私たちを守るからです。神様の偉大な計画に委ねて、神様の奴隷になりましょう

5.22.2021

暗やみの中から。。

聖書朗読 使徒の働き26章   18節 「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、私を信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継かせるためである。」 パウロがアグリッパの前に弁明しているところで、その弁明の内容は自分の救いに至るまでの生涯とイエス・キリストに出会った日、救われた日の話です。彼が救われたのは使徒9章に記録されていますが、その後にまた22章に書いてあります。聖書に記録されてないですが、それ以外にパウロは自分の救いの証は数百回、数千会、繰り返して色んな場所で様々な人たちに語っていると思います。 今の時代でも必要な話ですね。暗やみの中でありサタンに支払いされている人たちがほとんどです。当然、一部の人たちは「はい。サタンに支配されています。」と笑いながら言う人がいますが、ほとんどはそのことを知らずに毎日過ごしている人たちです。より多くの人たちが神様に支払いされるものと、造り主に立ち返るように、今いる場所で祈りましょう。

5.21.2021

延期。。延期。。延期。。

聖書朗読 使徒の働き 24章 22節 フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」と言って、裁判を延期した。 

 延期した!私たちはこの一年間、よく聞くようになった言葉ですね。23:26を見て、思い出してください。このリシアがフェリクスに手紙を出して、パウロをユダヤ人から助けた事やパウロが無罪であることを書きました。なのに、今度はフェリクスがまたリシアを待ち、リシアに責任転換するわけです。いろんなリーダー達の前に連れて行かれても、パウロが立派な神様のしもべであり、何も悪いことしてないのが明らかでした。誰もパウロを死刑にしたくなく、延期するパターンの繰り返しでした。 何かを待つというのは誰もが嫌がります。しかし、これにも時があります。待たされている中、神様が働きます。今いる場所で主のためにできることがあります。

5.18.2021

無差別な福音のために

聖書朗読 使徒の働き 22章 1節「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」 パウロがエルサレムに行き、エペソの先生方を始め、多くの方々が恐れていたとおり、逮捕されました。「弁明を聞いて」とありますが、パウロの弁明はどういうものだったのかを22章を読み、考えましょう。自分の行動中心な話しではなく、イエス様との出合い、神様に選ばれたことが中心です。福音が無差別なものであり、全ての人に宣べ伝えるべきです。ユダヤ人に語っているが、パウロが異邦人に派遣されたことを言われたら、ユダヤ人が我慢できずに暴動になりました。 福音に対するパウロの熱心が多くの人を救いに導きました。これを喜ばない人は必ずいますが、気にしません。 主のために生きる一日となりますように。

5.16.2021

走るべき道を走る尽くす

使徒の働き 20章 24節 けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。 バウロがエペソの教会の先生方を自分がいる所に呼び、エルサレムに行こうとしている事を伝えました。そこに行けば、確実に迫害されることになると分かっていましたが、その中であっても福音が伝えられるので、行くと先生方に伝えました。エペソの教会にも偶像礼拝をする者から迫害もありましたから、彼らを励ます目的で呼び寄せたと思います。 私たちは「神の恵みの福音」のために「走るべき道のり」を走っていますか? 使徒の働きの聖書朗読が今週で終わりますが、初代教会の事を学び、今の時代にも同じことを見たいと思いませんでしたか? ローマ 6:13にありますように、まずは私たちが「自身を神に献げ」ましょう。

5.12.2021

真夜中の賛美

聖書朗読 使徒の働き 16章 25節 真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。 パウロたちはいつ寝てたんだろうね?真夜中でも賛美とお祈りしていました。無罪な人たちが牢屋に入れられて、賛美できるとはすごいですね。この証しにより、看守とその家族までが救われました。祈りにはもちろん、賛美にも力があります。周りが賛美を聞いて、「うるさい」と思わず、「仲間になりたい」と思うようになるといいですね。

5.11.2021

儀式ではない。。。。

聖書朗読 使徒の働き 15章 24節 私たちは何も指示していないのに、私たちの中のある者たちが出て行って、いろいろなことを言ってあなたがたを混乱させ、あなたがたの心を動揺させたと聞きました。 異邦人の世界に福音が宣べ伝えられ、ある先生方が、ユダヤ教の様々な儀式を異邦人でも守るべきだと教えていました。しかし、救いは神の恵みによるもので、福音を受け入れる以外は何も必要ありません。エルサレムの教会で話し合いをし、使徒たちが同じ意見になり、異邦人たちでクリスチャンになった方は割礼等の儀式を守る必要がないことをみんな同意しました。 今の時代でも、聖書に書いてないことを書いてあるかのように教えてる教会があります。例えば、バプテスマを受ける前に数ヶ月勉強会が必要だとか、いろいろあります。聖書に書いてあるもののみ、実行し、書いてないことを教える人や教会を警戒するべきです。

5.09.2021

社会の価値観に従う女性は後悔します

聖書朗読 使徒の働き13:26-52  50節 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。 ここで「神を敬う」とありますが、これはDEVOUTと言う英語になります。何かの信仰を熱心にしている人たちを意味しています。彼女たちは裕福な者で、異邦人の堕落した生き方を捨て、ユダヤ教の信者となった婦人たちです。パリサイ派の先生方のように、自分たちは道徳的に正しい生活をしていることに対しての自慢があったが、真の神様を正しく信じていた訳ではありません。宗教熱心者の社会では、彼女たちは憧れる女性であり、尊敬されていました。 今の時代にも似たようなことが起きています。現社会が教えている「現代の婦人」は家族を犠牲にしても男女平等を合言葉にし、成功を追い求めています。家庭優先の様な古い考え方を捨てて、自分の幸せや社会に認められる事を追い求めています。社会が描いている「成功している女性」と神様の基準は当然違うものです。この有力者がパウロとバルナバを迫害することになりましたが、今の社会は聖書的な価値観に耳を傾けることがないとしても、私たちクリスチャンは優先順位や価値観を変わらない聖書の教えに合わせましょう。

5.08.2021

神様の心にかなった人

聖書朗読 使徒の働き13:1~25 22節 それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。「私はエッサイの子ダビデを見いだした。彼は私の心にかなったもので、私の心を余すところなく実行する。」 13章には、パウロの最初に記録されている説教があります。ステパノと同じように、まずは旧約聖書から話しました。その中で、ダビデについて話しましたが、私たちにとってもいい目標ですね?私は1)日々、神様の心にかなった生き方をしているかどうか?2)神様の御心を実行しているかどうか?

5.06.2021

自分と違う人にも伝えよう。

聖書朗読 使徒の働き 10:43ー11:30 11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。 使徒たちに与えられた使命は全世界に福音を宣べ伝えることでしたが、しばらくはエルサレムだけにとどまりました。迫害によりクリスチャンが散らされ、それにより様々な地域に福音を語りはじめましたが、それでもユダヤ人だけに語りました。福音はすべての一人のためにあります。私たちは同じように、自分と同じ価値観や生き方をしている人だけにではなく、より多くの人に伝えましょう。まずは、一人に伝えられるように機会を祈りましょう。

5.05.2021

人間を神にするな!

聖書朗読 使徒の働き 10:1-43 25節 ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。26 するとペテロは彼を起こして、「お立ちください。私も同じ人間です」と言った。 人は人、神様は神様。この区別がはっきりしているはずなのに、区別が曖昧になると、大変なことに繋がります。 カトリック教会はペテロが最初の法皇だと思われているそうですが、危険な教えです。私はローマに行ったことありますが、カトリック教会の信者が法皇を拝む姿を見ました。彼らが法皇を見て、「この目で見ました。二度と目を洗わない」と言われるほどのレベル、幸せそうでした!狂ってます。ただの人間です。 ここまでではないですが、教会によっては牧師を高くしすぎる所があります。ただの人間です。コルネリウスの過ちを繰り返さないように、人にではなく、神様に目を向けましょう。

5.04.2021

回心しても受け入れられない時

聖書朗読 使徒の働き 9章 26節 エルサレムに着いて、サウロは弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。 パウロが救われたことは間違いなかったですが、周りの人達はすぐにそれを受け入れることができなかった。当然の恐れがありました.。なぜなら、パウロは国中を回ってクリスチャンたちを捕まえて迫害していたからです。 もしかしたら、皆さんがクリスチャンになった時、家族等がそれをすぐに受け入れずにいました。時間が経っても、まだ受け入れてないかもしれません。 バウロは福音に対する熱意で彼らの不安や疑問を乗り越えました。福音にはパワーがあります。

5.02.2021

ワンマン!

聖書朗読 使徒の働き 7:23ー60 55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て。。 ステパノの勇気はすごいと思いませんか?彼の説教は、まずアブラハムとモーセの話しをし、その後は神様の臨在は神殿よりは天地におられると話しました。そして、はっきりとユダヤ人が救い主を裏切ったの話しで説教を終わりました。「終わりました」、と言っても、終わってはなかったと思います。途中に彼らが怒り、ステパノを殺しました。「一人だから」と言って、何もできない訳ではなく、一人でも証しできます。今日のメッセージのテーマは「一人」(ワンマン)です。アダムにより罪が世界に入り、イエス様により救いの道が開かれました。一人の力は大きいです。

5.01.2021

聖書が中心

聖書朗読 使徒6章、7:1ー22 7節 こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。 教会内にもめごとがあって、弟子たちの時間が捕えてた。弟子たちが教会の奉仕に集中するために執事を七人選びました。その後、また祈りと御言葉の取次に集中ができた。その結果、御言葉がますます広がったのです。私たちは聖書バプテストです。「ウインターズバプテスト」や「ボードバプテスト」ではありません。聖書が私たちの信仰の一部ではなく、すべてです。人の意見や好みではなく、聖書が中心の教会です。そして、この聖書を世に伝えたいです。ますます、日本で広がりますように。

「真生留」

キラキラネームが多くて漢字が読めないこの時代ですから、私も「自分の名前の漢字を勝手に選ぼう」と数年前に思いました。最初はラインのIDに使っていただけですが、最近は仕事関係や名刺などでも使うようになりました。その漢字を選んだ理由を説明します。 真 (ま)  生 (いけ)  留 (る...