2.16.2026

すべての国々の支配者に向かって賛美しよう

 詩篇47: 1 すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。

8 神は国々を統べ治めておられる。神はその聖なる王座に着いておられる。

 全ての国のすべての人が真の神様に向かって、この47編に書いてある通りに賛美をしたらなんと美しいで光景でしょう?「回りの人になんと思われているのか」を気にせずに、元気に、恥ずかしくなることなく、大声で手をたたいて、賛美したいときがあります!

神様の素晴らしい御業を考えると冷静になれないと思います。興奮するのではないでしょうか?私たちの神様は勝利を得られた王様です。王国の人がその王様が戻ってくるときにお騒ぎするようなものですよ。

 実はこの詩とは違う雰囲気ですが、先週の水曜日、男性の勉強会に参加して、聖書を開く前にある聖歌(Because He Lives)を皆で歌いました。楽器なしの15人の男性が恥ずかしくなく大声で歌っていました。この聖歌をたぶん500回も歌ってますが、この経験は他にされたことないほど感動しました。

 「日本でも15人の男性が一つの声で賛美することをいつか見たいな」と思いました。

ですから、47篇のような手をたたきながら元気よく歌うにしても、すわって楽器なしの声だけで歌うにしても、問題は、「私たちは心から神様を礼拝しているのか」です。

 1節、喜びの声=Voice of Triumph= 勝利の喜びの事です。

8節、すべて=100%でしたね!

今日の一日が私たちの思うように行くか行かないかは関係なく、私たちの神様はすべてを支配しています。安心してお出かけしましょう。そして、喜びの賛美をしてから出かけましょう。

2.14.2026

王様の結婚式

 詩篇45:6.7 神よあなたの王座は世々限りなくあなたの王国の杖は公平の杖。あなたは義を愛し 悪を憎む。それゆえ 神よ あなたの神は喜びの油を あなたに注がれた。あなたに並ぶだれにもまして。

詩篇45は聖書通読で何度も読んだことあるものですが、初めて深く勉強したかもしれません。この詩は結婚する王様のために書かれたものです。6.7節はまたヘブル人の手紙で引用されてますので、キリストが私たちの王様であり、メサイヤ として来られる キリストの予言的意味もあります。

結婚式に最近参列されたことありますか? アメリカと違って日本に呼ばれると、多額のお金を用意しないといけないので、誘われたくないかもしれませんけど、豪華な喜びある1日ですね。

私は結婚式 600件以上あげてますが、やはり結婚式に参加することで祝福されます。お2人の可愛らしい 緊張とまたその喜びを見ることによって 元気なります。

私たち教会はキリストの花嫁であり キリストは花婿です。今は婚約時期ですね。私たちのために場所を用意されて私たちを迎えに来るわけです。

楽しみではありませんか。または6節、7節もう一度見てください。

キリストが私たちを迎えに来るまでは キリストが愛するものを愛しましょう。

義を愛し、悪を憎み、忠実なしもべとしてお待ちしましょう。

2.13.2026

歴史から学びないともったいない

 詩篇44:1 神よ 私たちはこの耳で聞きました。先祖たちが語ってくれました。あなたが彼らの時代 昔になさったみわざを。..

昔の時代の人たちは、自分の失敗で学んだことや親から教わった歴史や生活に必要な知恵などを必ず次世代に口頭で伝えました。当然 技術がなかったし Google で検索する、学校 任せにするなどの選択肢はありませんでした。この習慣が社会から消え去ってませんか?特にクリスチャンは次世代に神様の素晴らしい 御業を伝えるのは諦めないで行きましょう。子どもたちは聞く耳がないならば、お祈りし そして神様の知恵で工夫しながらも伝えましょう。

先ほど2ヶ月前に私が書いた文章を見つけました。「そっか 2ヶ月前はああいう決心したんだ こうするんだと決めたんだ。」この文章を毎日読み返すつもりだったのに完全に置きっぱなしにされ、結果としては 様々なことで失敗を繰り返しました。避けられたはずの 嫌な結果になりました。

前の世代の失敗から学ばなかったり、聖書から目を離して神様の御業を忘れたりするときもこういう結果になります。

私たちは聖書を置きっぱなしにしたり、辛い時に神様に祈らなかったりすると、必要以上の辛い思いをします。

2.12.2026

光とまことに導かれる

 詩篇43:3 どうかあなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。

これは嘘かのように思うでしょうが、これを打ち始めるまでは外が曇っていました。「光」を打ったすぐあとに、外を見たら、太陽の光が一瞬見えました。寒い冬と曇りの日が続くと、元気が出にくいですが、太陽をあびると元気がでますね。霊的にも同じことが言えるでしょう。神様が与える世の光は世の中の人たちにはもちろん必要ですが私たちの日々の生活にも必要です。その光とまことから離れずに歩みたいですね。暗やみに囲まれているとき、聖書を開いて、お祈りして、賛美して、光を浴びましょう。

2.11.2026

鹿のように

 詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしのたましいはあなたを慕いあえぎます。As the hart(deer) panteth for the water brooks, so panteth my soul after thee, O God.

先日、教会に向かっていたら、鹿が森から車の前に飛び出してきた。この可能性があると気づいた上で運転してるので幸いなことに 十分時間があり、事故ってないです。


森が多い田舎なので、「ここに道がるあるから、車に気をつけかなきゃ」と鹿は親や学校安全教室で教わってないでしょうね!鹿は鹿でAGENDAがある!食べ物、飲み物。。。必要なこと以外は考えない、気にしない。。。自分なりの解釈で鹿と会話したことないですが。。。。

そのような一方的な思いで私たちは神様を慕い求めているのか?2節を見るとその神様はどんな神様ですか?生ける神様です!God's Not Dead!という映画があります。また歌にもなってます。神様は生きています。水のないところで、「今水を飲みたい」と思う以上に神様を慕い求めましょう。必ずこたえてくださいます。

2.10.2026

ささやき(WHISPERER)気にするな

 詩篇41:7 私を憎む者はみな私についてともにささやき私に対して悪を企みます。

この詩の最初の数節は弱いものを助ける大切さについてダビデが語ってます。

4節からは自分の悩み語っています。whisper...はこの「ささやき」の英語ですが、部屋に入ってきて自分の方向に2、3人が見ながら、このような声で語っていると嬉しくありませんね。みんな経験してることでしょう。噂話はもちろんですが、人に憎まれるのもキツイことです。特になぜ憎まれてるのかが分からない時ですけど、ダビデは全て主に委ねています。

問題の最中にいる時に自分の知恵で考えても考えても答えが来ないし、神様に委ねた方が楽な道です。主を恐れる人たちが選ぶ道です。

8から9節を続けて読むと、仲のいい人に裏切られたり、また作り話がされたり、自分の試練をバカにされたり、この世の中には色々ありますね。

でも10節を見てください。ダビデは憐れみ深い神様に目を向けています。

ダビデが復讐を企んでるように見えるんですが、そうではないのです。試練の最中でも誠実な道を選ぶことによって、最終的に敵の負けということです。

今、出発する前に、勝利の主に祈りましょう。

2.09.2026

1日中 私たちのことを思っている神様

 詩篇40:5

わが神 主よなんと多いことでしょう。あなたがなさった奇しいみわざと私たちへの計らいは。あなたに並ぶ者はありません。語ろうとしても 告げようとしてもそれはあまりに多くて数えきれません。

詩篇139に似てる聖句です。私たちは他人に無視されたり、教会に行っても誰も声かけてくれなかったり、SNS の時代で 私たちがそのコミュニケーションに対する期待が昔よりは全然違いますね。コミュニケーションはインスタントである この時代はちょっとでも待たされるとイライラする人たちが増えてます。

もちろん、誰も一人ぼっちとなりたい人はいないでしょ。人間は他の人間とコミュニケーションを取るために造れた訳ですから、これは悪いと言ってるわけではありません。

けれど、 一番の頼りは誰でしょうか?今日曜日の朝これ書いてます。今日は初めて自分の母教会に行きます。正直言いますといろんな心配事があります。この母教会が私たちを長年サポートしてるにもかかわらず 牧師2人以外とは全くつながりがありませんし、この教会の課題は山ほどあります。

でもその教会の問題点にイライラするよりは、人間から目を離して 神様に目を向けて 礼拝の目的で 教会に行きたいと思います。

神様の栄光のためにそして主に仕えるために教会に行くのは正しい目的ですね。

人に目を向けてしまうと必ず がっかりします。神様の礼拝のために行きたいと思ってます。

ダビデは神様の業をほめたたえてますし、また自分自身に対する計らいというのは思いという意味です。神様の私たちに対する思いは はかり知れないほど多いです。

ですから、教会にいる時でもいない時でも自分が一人ぼっちだと思ってしまう時、この2点を忘れないで行きたいです。1.素晴らしい業をなさった神様は今日でも素晴らしい業ができます。2.神様は 数えきれないほどの思いで 私たちのことを考えています。

2.06.2026

わずかな物で満足できますか?

 詩篇37:16 一人の正しい人が持つわずかなものは多くの悪しき者が持つ富にまさる。

いよいよ 詩篇37篇までこの学びが続きました。37篇の3節から8節が一番有名だと思います。私の好きな聖句の一つです。今日は違う方向に行く、ある意味 昨日からの続きでもあります。

人間は基本的いくら持ってもまだ欲しいものがある。「これがあれば満足するだろう」。アメリカの教会の若者は特にそうですけど、だからこそ、多くの青年会は高校生たちをミッション チームとして海外の貧しい国に連れて行きます。もちろんそこで伝道についての大切さを教える目的でもあるんですが、自分たちの持ってないものではなく持ってるものに対して感謝しましょうと教えたいんです。あなたたちが困っていると言ってるその問題は大した問題じゃないよと、この人たちを見てくださいよと。何も持ってないのにちょっとしたことで感謝の笑顔になるわけです。

寒い中で掘りながら 思ったんですが、私たち感謝できることがたくさんあります。作業が終わって暖かいアパートに戻ってヒーターが効いてそしてお風呂に入りました。これだけでもどんなに感謝 なのか?皆さん 神様の恵みを一つ一つ数えてみてください。今あるもので満足しようではないか。

2.05.2026

神様を避けどころにし、本当の平安を得られる

詩篇36:7.8 神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。 8彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。

平安が欲しいと思わない人はいないでしょう。「いや、先生、私は争いと喧嘩が大好きです。平安の一日があるとなんか落ち着かない」と思う人はゼロではないでしょうけど、出会ったことはありません。そして、世の中の考え方は、「○○すれば。」「○○買えば」などのように、私たちがある行動を起こせば、少しでも平安な心(幸せ)になると教えています。すべてのCMの基礎にはこの考えがあります。.....

聖書は違うことを教えています。何もすることがないのです。神様がすべてをすでに私たちのためにしてくださったし、現進行形でもあります。イエス様が私たちの身代わりとなったことで、罪の悔い改めをし、本当に平安が初めて可能となりますね。

旧約聖書はどうだったんでしょうか?同じです!イスラエル人が神様の御業を信じ、神様のために聖別した生き方をし、神様から離れてしまった場合はもう一度悔い改めて神様に立ち返るのでした。自分たちの平安は状況によらず、神様との関係から来てたのです。

ダビデはこの詩で神様を知る、神様を避けどころにすることからくる平安について語っています。そこにとどまりたい思いを祈られてます。プライドや悪を行う人たちから守れるように祈っています。神様の御恵は何とすばらしいことなのか?私たちは日々守られていることを感謝しましょう。

2.03.2026

いつも=100%の時

 私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。

詩篇34.1

いつも= always = 100%のとき

以前も話したことあるんですが、夫婦喧嘩 やいろんな会話の中で相手に怒ってる時に「あなたはいつも〇〇。」と言ってしまいますね。だいたい人間がいつもという言葉使う時は間違った意味で使ってます。

いつもの意味は100%の時だから、例えば 結婚してから今まで 1回だけでもその指摘されてることをしてなかった日があったなららば、いつもは使えないはずです。

さて、私たちの神様に向かっての礼拝の賛美はどうでしょうか。やはりいつもとは言えないですね。賛美したい時もあれば神様に怒ってる時もありますし、信仰の波がありますね。

今日は 賛美のことについていつも賛美しているかどうかを考えましょう。

2.02.2026

主を恐れていていますか

 詩篇33:18 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。

今まで学んで来た詩とこの日々のデボーションでも何度も出てきたテーマにもかかわらず先ほどまた弱いひと時を過ごし、心が一時的落ち込んでしまいました。ある問題について考えていたら大きな絶望感におわれたのです。やはり、分っている御言葉でも、自分たちの変わりやすい感情と弱い信仰で繰り返して聞く必要がありますね。

信仰が弱い時、「○○はどうなるのか」「神様、あなたは本当に○○の心の中に働いているのか」など、または人の動機や言葉まで疑ってしまいます。今回は早くその不安な気持ちが平安に変わりました。御言葉を開いたからです。賛美を聞いたのです。そして、祈ることができたのです。サウロ王さんの事覚えてますか?その汚い心をまた冷静なものに変えたのは音楽でしたね?

私たちは主を恐れてますか?「はい」と答えたのであれば、私たちの上に主の目が注がれてます。主の恵みがあります。待つのが苦手な私ですが、数か月間の祈りの課題がまったく前に進んでいない今頃、やっと「忍耐」という物を学びだしたのです!学ばなければならないからです。ほかにできることがないからです。待つしかないのです。神様が天国でマイケルさんを見て、「やっとわかったのか」と言っているように感じてます。主を待ち望みましょう。あきらめないでこの一週間を歩みましょう。

1.31.2026

御言葉に必ず応えがある

 詩篇31:24 雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。

今日は聖書を読む前に、先日の出来事についての不安なことや、改善したいことなどを日記に書きました。そして、その後に聖書を開いたのですが、なんと、詩篇31篇に私の悩みの答えが書いてありました。数分後に主から応えが得られるのは、神様の恵ですね。

31篇を読んだあとに、何節か日記に書き写しました。

1節―恥を見ないように。2節―私の力の岩 3節―私を導き 

10-11節の全部を書き写しました。ダビデが罪を犯した結果で、近所の人等に避けられていました。その罪に携わりたくなかったからでしょうね。それは正しい決断でした。

人に避けられたことがありますか?私たちは燃えているクリスチャンで御言葉をよく語るから未信者が私たちをさけるなら、しかたありません。でも、神様を信じているクリスチャンなのに、私たちの行動や態度が主に喜ばれるものではなく、家族や友達が私たちを避けているなら、「なぜ人が私を避けるのか」と深く考え、自分の行動や心を改善すべきです。

31篇のテーマは一言でまとめにくかったですが、私たちは神の御手の中にいることがテーマだと思います。

木曜日のある話し合いで、非常にキツイこと言われショックを受けました。非常に心が傷ついてもおかしくない内容でしたが、神様の恵によって、それを素直に受け入れることができ、そして改善に向けて祈ってます。「どのようにこの年齢で習慣となっている行動を変えるのか」という大きな課題ですが、神様に不可能なことはないと信じて前進したいと思います。自分の力を頼ってはいけません。日本語の聖書の24節の言い回し「心を強くせよ」は誤解を招く気がします。私たち自身が自分で心を強くするという意味ではなく、神様が私たちの心を強くするという意味です。自分の性格を変えることや、繰り返してしまう罪等は自分の力でやめようと思っても、無理です。主よ、私たちをつよくしてください!

1.30.2026

「泣かない男」は間違っていた

 詩篇30:5 まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

「泣かない男」として頑張って来たんですが、この数か月間の涙はその前の47年間より多く流れてます。詳細は言いませんが、涙を流すことはそれほど悪いことではありませんし、辛い思いをすることによって学べることはたくさんあります。言い直すと、試練は大切なことを学ぶ目的でもあり、そして主に栄光を帰すためのものでもあります。せっかくの試練を経験しているのに、何も学ばず、ただ文句を言って霊的に成長しないのはもったいない! これほどもったいないことはないかもしれません。

5節には「御怒り」とありますが、神様は何に対して怒っておられるのかは書かれてません。4節には神様が聖なる方だとダビデ王は言ってますので、神様の怒りは聖なるものであり、罪に対しての怒りです。しかし、それは一時的な怒りであり、私たちは悔い改めると神様の憐みをいただけます。罪の赦しはどんなに感謝なことなのか?

涙はいろんな理由で流されますね?自分の罪に対する後悔。自分が被害者となっている。ガンの宣言を受けた。愛する人が亡くなった。まだその他たくさんありますね。しかし、私たちは神様を知っていれば、その涙は一時的なものでとどまり、主ご自身がその涙を喜びの心に変えてくださいます。ハレルヤ!主よ、お願いします!

詩篇を30篇、もう一度読んでください。「あなた」は何回ありますか?その「あなた」は誰の事ですか?考えてください。あなたの人生の主語は誰ですか?焦点は誰ですか?自分ですか?神様ですか?

1.28.2026

我が力、我が盾

 詩篇28:7 主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。

私たちは何を頼りにしているのでしょうか?私たちは誰を信頼すべきかを知っています。正しい答えも知っています。それなのに、私たちは毎日、喜びと平安を得るために苦労しているのです。

私たちは主を力とするだけでなく、主を盾とする必要があります。たとえ世界最強の兵士であっても、盾なしで戦場に行くことはないでしょう。なぜなら、防御は攻撃と同じくらい、いや、おそらくそれ以上に重要だからです。だからこそパウロは、「私が他の人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」(第一コリント9:27)と言ったのです。彼は、自分の霊的な歩みにおいて規律を守り、何事も当然のことと思ってはならないことを知っていました。彼は「悪い者が放つ火矢」(エペソ6:16)についてよく知っていたのです。

では、今日私たちに必要な盾とは何でしょうか?それは「信仰の盾」(エペソ6:16)であり、ダビデのように、主が私たちの力となり、盾となってくださることです。そうすれば、私たちは大いに喜び、喜びの歌をもって主を賛美することができるでしょう。

1.26.2026

詩篇26

 詩篇26:1-2 主よ 私を弁護してください。私は誠実に歩みよろめくことなく 主に信頼しています。主よ 私を調べ 試みてください。私の心の深みまで精錬してください。 

「俺は間違ってないよ」「何もしてないよ」「悪くないよ」のような弁明の言葉をよ里親してた時に聞きました。まあでもその里子と私はあまり変わらないかもしれないと、この頃気づいてます。

私たちは問題の中にいる時に自分の罪を先に気づけばいいですが自然とそうなりませんよね?どっちかと言うと被害者意識で相手の悪いところを先に気づきます。

ダビデはこの詩で自分は悪くないと弁明しています。今回の問題は本当にそうかもしれません。しかし2節を見ると、私を調べく試みてください、とありますね。

私たちは例えば本当に考えても考えても今回の問題は本当に悪くないんだと思ったとしても、自分の正しさをずっと主張することなく、神様の御前にへりくだって、「私を調べてください」と祈るべきです。

そうすると、この問題の少しは自分側に責任があると気づき その問題を悔い改めて、また 正しい方向に前進できます。

神様を待ち望む

 詩篇25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。   

神様を一日中、待ち望んでいるべきなのに、私はだいたい一日の8割かな?その残りの2割は危ないのです。その短い間に脳が早い回転で動き、行動も早く、後で後悔してしまうことをします。待つって難しいですね。祈りの答えがなかなか来ない。。。問題がなかなか進まない中でどのようにダビデが主を待ち望むことができたのでしょうか?それは「真理のうちに私を導き」と祈ったのです。真理の反対は?偽り。嘘。悪魔の仕事は私たちに嘘を教えること。。。私たちが神様を待たないで、嘘を信じ、「神様、あなたは遅い!」と思って自分勝手に行動するように。。。。御言葉から離れるように。。。。今日は一日中神様を待ち望みましょう。

1.21.2026

詩篇21

 主よ あなたの御力のゆえにあなたがあがめられますように。大いなる御力を 私たちは歌いほめ歌います。( 詩篇 21:13 )

今日の詩篇のテーマは 昨日の詩篇20篇に続いています。ダビデ王様が書かれたとありますが、これはまた民が祈る、賛美するために書かれました。20篇は戦いに出かける前に祈られたものかもしれません。そうすると 21編は戦いの後に喜びの歌 として捧げられでしょう。

私たちの力で何もできませんよね。しかし神様の力であれば限りなく素晴らしい出来事が待っています。そして、その勝利が得られた後に自分がやったとは思ってはいけません。神様の御名を崇めることべきです。例えば勝利を得られなかったとしても、何があったとしても、神様の御名を崇めましょう。

1.20.2026

詩篇20

 詩篇20篇 1節 苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。5節 私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。。。。7節 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

作者はダビデ王様ですが、民が王様の為に祈る詩です。だから1節の「あなた」はダビデのことです。ダビデが神様に従い続けて、そして、それによって民が祝福されるわけですから、民は王様のために喜び歌い、または祈る詩でした。同じように、私たちもリーダーのために祈るべきです。妻は家庭のリーダーである主人のために祈るべきです。職場ではボスのために祈るべきです。

今日は1節、5節、7節を貼り付けてますが、その共通点は気づきましたか? 「神の御名」です。 なぜ「ヤコブの神」という言い回しでしょうか?過去の勝利を思い出すための言い回しです。「先祖を守ったように、私たちもお守りください。」という願いをこめて、「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」の言い方をよく出てきます。アブラハム等に約束された土地に対する約束、イスラエルを星のような数にする、神様は約束を守ってくださる方なのだという願いをこめての言い回しです。 アブラハムを守った→イサクを守って→ヤコブを守った→ダビデもお守りください →私たちも守ってください。 私たちは自分の名前では何もできません。「ウィンターズ先生が言ったから」。。。。だから何?でも、「神様が約束したから」の方がすばらしいではないでしょうか。。。。今日は何を頼りにしてますか?(7節)世の中の人たちが頼りにしている同じものですか?それか、偉大な力の神様の約束、そしてその尊い御名を頼りにしますか?

1.19.2026

詩篇19

 おはようございます。今日のデボーションには困ってます!

なぜかというと 詩篇19篇は詩篇の中で、139篇に続き最も親しく、よく引用している詩です。なので 14節の中で 2、3節だけを選ぶとしてもどれにするのかに困ります。

子どもの頃は教会で 7節から10節の賛美をよく歌ってました。 今でも聖句をその賛美のおかげで暗記しています。

もう最初から最後まで分かりやすく 本当に ためになる詩ですが、今日は特に最初と最後を見ていきましょう。

1. 天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。2.昼は昼へ話を伝え夜は夜へ知識を示す。3. 話しもせず語りもせずその声も聞こえない。..14.私の口のことばと 私の心の思いとが御前に受け入れられますように。主よ わが岩 わが贖い主よ。( 詩篇 19:1-3,14)

先日も少し話しましたが、 私たちは自然界を見るだけで神様の素晴らしい力を見ることができます。このような素晴らしいものを作られた神様が今日の1日の私たちの生活を守ることができます。また今 心配しているそのことも神様は支配しています。信じて委ねましょう。

そしてその状況の中でも、14節に書いてあるように、私たちの言葉や思いが神様に喜ばれるように、歩みましょう。

この3ヶ月間、私は何度も何度も この14節を祈ってます。毎日祈ってます。。。毎日 守ってるとは言ってません。毎日 守ろうとは思ってます。

1.15.2026

詩篇15

 詩篇15 1. 主よ だれが あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが あなたの聖なる山に住むのでしょうか。 2. 全き者として歩み 義を行い心の中の真実を語る人。 3.舌をもって中傷せず友人に悪を行わず隣人へのそしりを口にしない人。 4.その目は 主に捨てられた者を蔑み主を恐れる者を 彼は尊ぶ。損になっても 誓ったことは変えない。 5. 利息をつけて金を貸すことはせず潔白な人を不利にする賄賂を受け取らない。このように行う人は 決して揺るがされない。

神様との交わりがテーマです。モーセに与えられた律法の中では様々な儀式が多いですね。この儀式の一つ一つには大切な意味があるのでこの詩はそれを否定してるわけではないんですが、しかし 心がこもってない儀式を守るよりは、本当に神様との良い交わりを保ちたいならば、正しい心と行動が大切であることがわかります。

この詩篇の中にはいくつかの神の人としての正しい行動が書かれてます

1.  Walk uprightly 全き者として歩む 2節

  ヨブの模範を見るとこの全き者の意味が分かりやすくなると思います。ヨブ1:1 妥協せずに、神を恐れ悪から離れる人です。

2. Refuse to speak against others. 他人の悪口は絶対しないこと。 3節

ヨハネ13章34節から35節にイエス様が他人を愛することについて教えています。

陰口や噂話,悪口は世の中によくあることです、私たちクリスチャンは違う基準で生活するべきです。

3. Stand Against Evil, Honor the Godly

悪に立ち向かい、敬虔ば人々を称えよ 4節