箴言8:1-4
知恵は呼ばわらないだろうか。 英知はその声を上げないだろうか。2.これは丘の頂き、 道のかたわら、 通り道 の四つかどに立ち、3.門のかたわら、町の入り口、正門の入り口で大声で呼ばわって言う。4.「人々よ。 私はあなた方に呼ばわり、人の子らに声をかける
知恵が街角に立って叫んでる人として描かれてます。 それが本当だったら助かったかもしれない。 私が間違ってどう 通った時に「 マイケルさん まもなくあなたはとても馬鹿なこと言うから口を閉じなさい」とか。。。 または携帯の時代だから 天国の父なる神様からの着信が携帯に入ったらありがたいですね。
でも実は私たち クリスチャンは聖霊が与えられてます。 ですから その聖霊の声に聞き従えば大きな罪は 犯していないはずです。
知恵が街角に立って より多くの人が神様の言葉に耳を傾けるように叫んでいるわけですね。
今日は どんな目的でクリスチャンは教会に集まるんでしょうか。この頃礼拝に向かう前に祈ってます。「人と状況から目を離して 神様あなただけに目を向けられるように私を助けてください」 しかしこれを素直に祈る前には他人を許していないといけません。
他人は「ごめんなさい」と謝ってるのに自分は「絶対あの人を赦さない」と思っているならば、 その心は 真の礼拝の妨げとなっていると思います。
これはただ一つだけの例ですが、知恵は街角でこういうこと叫んでいるのではないでしょうか。
「 神様の知恵に耳を傾け それに従いなさい」「 もっといい生き方があるよ」「 神様の道は人間の道より幸せですよ。」
「 神のみ言葉を実行すれば心が楽になりますよ」
今日私たちが教会に向かってる時に、 赤信号を待ちながら、 交差点に 神様が遣わした「知恵」 という人が立っていたら私たちに何と叫んでるんでしょうか? それを答えようとしながら心に浮かんできたものは それこそ聖霊の声です。