4.11.2021
「礼拝」は集会の名前ではありません
聖書朗読:ヨハネの福音書9章
38節 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
多くの教会では、今日「礼拝」を行います。看板にはそう書いてあるからわかりますが、その教会に出席したら、本当にその集会で「礼拝」が行われているかが疑問です。ヨハネ9章には、目が不自由な男を癒したイエス様の奇跡が記録されています。生まれてから一度も見えることができなかった彼は、イエス様を信じました。そして、イエス様を拝した、とあります。
礼拝は何でしょうか?誰が礼拝できるのでしょうか?近いうち、これを聖書から一緒に勉強したいと思います。今日は一言いいますと、神様を信じている人がしか礼拝できません。礼拝は儀式的なものではありません。礼拝は単なる教会の一つの名前ではありません。礼拝とは、神様を信じている人たちが神様を拝むということです。神様をほめたたえることです。神様に救われた事を感謝することです。神様を信じていない人たちは集会に参加して、歌を歌うことができますが、礼拝ではないですね。まずは、信じることからです。
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