1.10.2026

詩篇10

 詩篇10 1節 主よ なぜ あなたは遠く離れて立ち

苦しみのときに 身を隠されるのですか。 11節..彼は心の中で言っています。

「神は忘れているのだ。顔を隠して永久に見ることはないのだ。」

今日は1節と11節を比較してお話ししたいと思います。

一節は神様を恐れてる、正しい方の問いかけです。11節は 2節から続く、神様を恐れていない悪者、高ぶってる人の問いかけです。聞かれてる質問は似たような意味ですが、その裏の動機は全く別です。

1節はダビデがよく祈ったように、自分が正しいことしてるにもかかわらず、なぜか神様が遠く離れてると感じてる人のお祈りです。へりくだっている人の素直な問いかけです。

しかし 11節はふざけてる心で神様がどうせ見てないから、自分勝手なことしても別に問題ないだろうという高ぶってる人の心です。

この詩を通してわかるのは必ず神様は見ておられます。確かに遠くいると感じる時があります。私たちのお祈りが聞かれてないと感じる時があります。

16節には神様は全てを支配してる王様だとわかります。または17節にはへりくだった人のお祈りを聞いてるとわかります。

安心して祈りの答えがすぐ来なくても信じ続けましょう。

1.08.2026

詩篇8

 詩篇8:3-4 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

今日は神様のすばらしさを褒めたたえる明るい賛美です。これを書きながら、素晴らしい雪の景色を見ています。神様がお造りになった天地は言葉もない程、本当に感動しますね。飛行機の窓から見ても、日本の山を昇ってみても、海に行ってみても、近くにあるお花や動物を見ても、身の周りの創造物はすごくて言葉で言い表せません。

それに比べて、私は何者なのか?

2時間前から数分前までは、実は神様に怒ってました!「不公平だ!」「こんなに頑張っているのに。何で?」 実は、先までは今日のデボーションを書きたくないと思って、休むつもりでした。何か変わったのでしょうか?御言葉を開いてのです!イヤイヤながらも、「とりあえず詩篇8を読もう」と思いました。そして心が変わりました。天地万物を創造した、私を創造した神様のすごさを考えると、自分が怒っていた内容は比較的一時的な問題でそのうち解決するでしょうと思いました。詩篇8篇の御言葉はパワーフルでした。

1.07.2026

詩篇7

 詩篇7:8-10 主は諸国の民をさばかれる。主よ。私の義と、私にある誠実とにしたがって、私を弁護してください。9 どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。10 私の盾は神にあり、神は心の直ぐな人を救われる。  

 どのタイミングで書かれたのか、または、何に対してダビデ王が自分の正しさを弁明しているのかははっきりしません。詩篇6篇はダビデは自分の罪に対して神の赦しを祈っていたが、7編は正しい立場であり、他人がダビデを責めていた。正しいことをしたにも関わらず、悪口や陰口を言われたり、他人が自分に対して嘘をついたり、私たちの行動を勘違いしたり、辛い経験ですね?この頃痛いほどわかります。そして、自分の立場を自己弁明したくなります。しかし、この詩をとおしてその必要がないとわかりました。神様がすべてを見ておられます。他人の行動は変えられないし、その罰も神様にまかせましょう。私ができるのは、自分の行動が正しいのか。自分の反応が正しいのか、それだけです。

1.06.2026

詩篇6

 詩篇6:2 主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。

 書かれた時期ははっきりしないが、ダビデが何かの罪を犯した後に書かれた詩だと思われます。自分の罪の結果として神様の罰を受けていると感じ、神様の憐みを願い祈ったのです。この頃、WHAT WE SOWという曲を繰り返して聞いてます。ガラテヤ6:7-8の御言葉に基いている曲ですが、歌詞はパワーフルです。ダビデ王様は神様を愛していた立派な僕でしたが、完璧な人間ではありませんでした。罪深い者でもあり、神様に対して罪を犯したときは素直に悔い改め、再出発しました。 私たちの生活にあるすべての病気や試練は私たちの罪の結果として経験している訳ではないですが、一部はそうかもしれません。「私たちを癒してください」と祈りながら、その罪を認めない状態を維持しようとするなら、癒しは難しいでしょう。ダビデのように素直になり、ダビデと同じお祈りをしていきましょう。それによって、今の疲れや弱さから癒され、新たに力をいただけます。その力で今日の一日を歩んでいきましょう。

1.05.2026

詩篇5

 こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。

詩篇5:11

詩篇5はダビデの詩であり、朝にささげるお祈りでした。私たちは起きてから「今日しなければならないこと」を考えてすぐ動き出しますね。しかし、それは自分の力で動いてしまっているなら、予定より5分遅れて一日をはじめた方がまだ良いのではないでしょうか?

ダビデは敵や神様を恐れない悪者に囲まれていても、喜ぶことができました。その理由はいつも「あなた(神様)に身を避け」ていたからです。そしてその結果として、その喜びの歌が永遠に続くと言いました。それは自分のことだけではなく、神様に身を避けるすべての人たちのための祈りと賛美でした。

私たちは他人に誤解されるとき、自己弁明や言い訳をしたくなりますね?でも、神様に身を避けるとその必要もなくなります!神様が私をかばってくださる、守ってくださるのです。

今日の一日には何がまっているのかはわかりませんが、神様とのひとときでスタートしましょう。

1.02.2026

詩篇2

 なぜ 国々は騒ぎ立ち

もろもろの国民は空しいことを企むのか。

...恐れつつ 主に仕えよ。

おののきつつ震え 子に口づけせよ。

 詩篇 2:1,11

詩篇2は千年王国を夢見ている預言的な詩です。神の国と人間的な支配を比較している詩でもあり、旧約聖書の時代、キリストが来られた時そしてその後の初代教会の時代、または今の時代の私たちに関係ある詩でもあります。千年王国が来られると神様の完全な支配が行われます。今でも神様は支配しておられるんですけど、人間に自由意思が与えられているため、人間が非常に自己中的な道を歩んでいます。政府でも、個人的なレベルでも完璧な王様に従わずに歩んでいます。神様はそれに対して何と思われてるのでしょうか?4節を見れば 笑っておられるんだと分かります。なぜでしょうか?人間がどんなに頑張って 自分が知恵があるとか力があると思っても、全能の神様に叶いません。 世の終わりの千年王国の時代にはすべてが正されます。そして神様信じなかった人たち、または 国々が弁明できないのです。 私たちはその世の終わりの日になってからではなく、この2026年の日々、神様が私たちの王様として、神様の御前にへりくだって、主に従っていきたいです。

1.01.2026

Happy New Year

 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず

罪人の道に立たず

嘲る者の座に着かない人。

主のおしえを喜びとし

昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

その人は

流れのほとりに植えられた木。

時が来ると実を結び

その葉は枯れず

そのなすことはすべて栄える。 

 詩篇 1:1-3


あけましておめでとうございます。今日から詩篇を毎日1篇を読みましょう。

詩篇の中ではこの1篇は有名だと思います。私も子どもの頃 暗記したことがあります。暗記したけれども、先ほど読み直した、これを2025年に実行したんだろうかと反省していました。

特に後半ですが、私の2025年を一つの言葉でまとめると、「不安定」という言葉だと思います。神様に近づいたり離れたり、霊的、または感情的に不安定だったでしょう。

川岸に植えれてる大きな木は風が吹いても大雨でも動かない。2025年は終わりましたが、2026年はこのような木のようになりたいです。そのためにはどうすればいいんでしょうか? 安定した動かない人になるためには2節がポイントです。神の御言葉をより大切にすること。そして1節にもヒントがあります。神様に従っていない人たちの意見に耳を傾けたり その人たちの目を気にしたり、そういう生き方をやめましょう。