(Ethan Wintersより)(現在、アメリカでパイロットになるため訓練中)
7年ぶり帰国した僕にとって、様々な面白い発見がありました。その中の一つは香り付きのゴミ袋です。4年ほど北海道で一人暮らしする中で、そのようなゴミ袋を日本のスーパーで見た覚えがありませんでした。もちろん日本ではゴミ箱に着ける「匂い消し」はありますが、アメリカではキャンドルの香りを選ぶように、ゴミ袋の香りを選ぶことができます。しかも、リサイクルせずになんでもかんでも同じゴミ箱に捨てるにもかかわらず、この香りのおかげで、キッチンは一切ゴミの匂いをしたことがありません。
香り付きのゴミ袋は僕にとって面白い発見でしたが、私たちの罪はアメリカのゴミの匂い対策と違いますね。ゴミを香りの良い不透明な袋に入れれば、ゴミがキッチンに存在していることさえ忘れることができます。しかし、全人類が生まれてから持っている罪を私たちは自分の力で消すことができません。人間は自分の罪を良い香りのするゴミ袋―すなわち良い行い-に頑張って埋めようとします。しかし、もちろんそれは成功しません。私たちの罪を消す方法は唯一イエス・キリストの十字架によってのみです。救いは「行いによるものではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:9)
そして、恵によって救われた私たちは救われた後でも、恵によって日々歩まなければなりません。なぜなら、救われた後も罪との戦いがあるからです。恵によって救われているのに、自分の力で頑張っていた「律法主義」のクリスチャンたちにパウロはこう言いました、「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」(ガラテヤ5:1)「あなた方はキリストから離れ、恵から落ちてしまったのです。」(ガラテヤ5:4)
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